ヘルプマークが段々と世の中に浸透してきているようです。
果たして、強迫性障害の私たちはヘルプマークが必要なのか考えてみました。ありきたりな答えですが、人それぞれで良いと思います。
ヘルプマークが浸透してきた背景には、他人は他人、自分は自分という、「個」の時代になってきたため、人を見て、人を察するという当たり前の能力が、人間から薄れてきたからではないかと懸念します。
こういう時代においては、ヘルプマークのようなものが、必要にならざるを得ないのかも知れません。
私は、まだ少々強迫を抱えていますが、人に助けられるより、人を助けたい気持ちが強いので、ヘルプマークは付けません。「ヘルプしますマーク」も作ってほしいです。
むしろ辛かった子供時代、ヘルプマークを常に付けていたかったです。本当に苦しい時というのは、人に助けすら求められないものです。
ヘルプマークの有り無しではなく、助けるべき人を適切に助けることのできる自分でありたいと、強く感じます。