ODその後

私は、文章を書くのが好きです。と言いながら、どれだけブログをさぼっていることか(笑)。笑い事じゃないですね。楽しみにしてくださっている方、本当に、ごめんなさい。

デパスのODは、昔は一週間ぐらい記憶が飛びましたが、今回は、あまり悪影響がないと思っていました。しかし、最近になって、曜日や時間の感覚がおかしくなってきました。表現が難しいのですが、時空を超えるというか…いや、そんなきれいな表現は適切ではなく、今が何曜の何時で何の予定があるかを把握する脳が誤作動を起こしているような感じです。

とにかくODは、死の危険があるため、絶対になさらないでください。

今考えると、息子に酷い言葉を言われ、ODしたように見えますが、断薬ができて、いい気になっていた私の脳は、実はデパスを求めていて、息子からの暴言を理由に、デパスに走ったのではないかと思います。デパスは意志を持っているのではないかとさえ、思える薬です。これから飲もうか迷われている方は、絶対に止めてください。ヘロインより依存性が強いくらいなのですから、薬と言うより、もはやドラッグです。

今は、OD前の、1日2ミリに一旦戻しました。効果は全く無く、離脱症状を抑えるためだけに飲んでいるので、また少しずつ、減薬していこうと思います。

先ほど申し上げたとおり、曜日と時間の感覚が鈍っていますが、羽生選手のスケートだけは、何が何でも見ました(笑)。あの演技こそ、「芸術は爆発だ」(岡本太郎さんのお言葉)そのものです。スケートでも、書くことでも、皆さまのご趣味でも、自分の表現したいことを表現し、全身全霊で生を全うすることは、とても崇高なことです。「言うは易く行うは難し」と言いますが、私も自分の魂の声に従って、どんどんやりたいことにチャレンジしていこうと思っています。一度、このブログで、羽生選手について語る回を作るかも知れません(笑)。

ご相談は、まだお休みをいただいており、大変申し訳ございません。心身共に、薬の影響が無くなり、落ち着きましたら、再開いたしますので、どうかご理解のほど、よろしくお願いいたします。

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カウンセリング休止

まず、謝らせてください。ご相談を当面、お休みさせていただく事態を招き、大変申し訳ございません。

薬の怖さを知っていただくために、ありのままを書きます。ほんの数日前、またデパスのODをしてしまいました。今回は、1ヶ月分、90ミリです。

二十歳を越えた息子と、些細なことで揉め、頼むから死んでくれ、稼ぐことすらできないくせに、と言われ、衝動的にODをしてしまいました。少し間を置いて、再度、息子と話したのですが、やはり、私は生きているより死んだ方がましだ、社会のためにも死んだ方が良い、と言われ、打ちのめされてしまいました。

私はまだ、外で働くことはできないのですが、強迫のカウンセリングをしていましたし、オンラインで、英語を使って日本語を教える仕事をしています。ただ、生計を立てられるほど、稼いでいないので、息子の言葉は図星です。息子はもうすぐ専門学校を卒業するのですが、コロナ禍で、今は自主休講をしています。私が頑張って稼がねば、と思っていた矢先でした。

90ミリは、もちろん死の危険もあります。生きると決心した自分を裏切ったことが、何より苦しいです。私は、自分の弱さを思い知りました。このようなことで、自分を傷つけるべきではありません。何を言われようが、私は私です。

デパスの断薬も順調だったので、残念です。考え過ぎかも知れませんが、息子の言葉を、無意識にODの理由にしたのかとも思いました。

薬はほぼ抜けましたが、カウンセリングをしたところで、私には何の説得力もありません。私の書籍やアドバイスを参考にしてくださっている方々にも、本当に申し訳ないことをいたしました。立場上、私には責任があります。

ただ、このままでは終わらせない、という底意地もあります。無責任という意味に取らないでいただきたいのですが、終わったことは終わったこと、今日、今、ベストを尽くすことしかできません。

必ず、また、皆さまのお力になれるよう、精進して参りますので、どうか少しお時間をください。ブログは、たまに書かせていただくと思いますので、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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自分を知る

皆さん、それぞれに、生きる目的や理由がおありかと思います。生きる目的も理由もなく、ただ生きている、それも充分アリです。

私は最近、「自分とは何ぞや」、言わば、「己を知る」ということが、生きるテーマの一つとなっています。

他人のことを、観察し、評価することは簡単ですが、自分を自分で見る、これは案外難しいことです。

他人は、自分の鏡だと思っています。家族を含めた、他人との人間関係において、自分をよく知ることができますし、生きていく上での様々なトラブルや、それこそ強迫性障害でさえ、自分をよく知るきっかけになると思います。自分を知ると、自分をコントロールしやすくなり、生きやすくなります。

私は、強迫性障害だからこそ、自分を知るチャンスを与えられ、自分について嫌というほど考えさせられ、魂の糧になったことが、たくさんあります。

私たちは、強迫性障害者である前に、一人の人間です。一人の人間として生きていく中で、誰しも、様々な困難にぶつかります。そして、私たちに与えられた困難は、強迫性障害だった、という訳です。他人は悩みがないように思えるのでしたら、それは単に、隣の芝生が青く見えているだけです。

困難など要らない、と思うお気持ちはよくわかりますし、何も強迫性障害でなくても、というお気持ちも、痛いほどわかります。ただ、ピンチはチャンスという、ありきたりな言葉は、案外、的を得ていて、強迫を完治させずとも、もがいた先には、今より、強く優しくなった、ご自分がいるはずです。

今この瞬間が辛く、そこまで俯瞰できない方もたくさんいらっしゃるのは、よくわかった上で、申しております。日々の強迫行為に対処しながらも、一人の人間として幸せに生きる覚悟を持たれると、より改善が早くなります。

これは、強迫との闘いではなく、ご自分との闘いなのです。強迫を観察するのではなく、ご自分の心の声をよく聞いてあげてください。皆さまご存じのとおり、強迫の脳の指令は本来のご自分ではありません。ご自分の心のほうの声を聞く、イコール、ご自分を知るということにつながってくるのです。

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